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堀江青年

素晴らしい出会いと寛大な措置

2002/7/18現地時間17日午後3時半、堀江さんが無事68日の航海の後、サンフランシスコに到着したと新聞に流れました。

最初の航海の時、彼は90日もかかりましたが、短いけど面倒な大圏航路より計算の楽な緯度にそっての航路を取ったことなど、当時の日記を読んで知っていましたが、私は今回あまり関心を持っていなかったのです、しかしこのHPを知った時、この航海に今まで知られていなかった事実と思いがあった事を知って、ぜひ皆さまにもお伝えしたいと思いアップしてみました。

朝日新聞より
今回の旅は、40年前にサンフランシスコ市長だった故ジョージ・クリストファー氏への思いがきっかけだったそうです。当時、堀江さんはパスポートも金も持たず密航状態だったが、同氏の努力で名誉市民と認められたため、強制送還を免れただけでなく英雄と評価されました。それを、3 年前に知った堀江氏が、感謝を込めて計画した航海だったのです。

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“太平洋ひとりぼっち”として有名になった1962年の航海は「NoPassport」「No English」「No Money」のまさに“密出入国”の航海で、堀江青年は即刻強制送還されてもしかたがない状況でした。

当時のサンフランシスコ市長、ジョージ・クリストファー氏は、日本の青年の無謀とも思えるチャレンジを高く評価したく思いました。彼もまた、ギリシャ移民の子としてアメリカにチャレンジをした一人でもあったからです。

ジョージ・クリストファー氏は、側近として仕えた元アメリカ大統領アイゼンハワー氏と相談をしました。時は日米安保に揺れる時代。ちょうど2 年前、アイゼンハワー氏は日本国民の激しい反対デモにあい、訪日を断念するほどの屈辱を受けたにもかかわらず「日本国民、特に若者のためになる事を」とクリストファー市長に一言助言をしたそうです。その事に意を強くした市長は、即刻、堀江青年をサンフランシスコの名誉市民として受け入れたのでした。

それは日曜日の夕刻から月曜日の正午までの一刻を争う出来事で、移民局も市の決定に密入国の青年の入国を認めることになり、局長自ら堀江青年を称え、1ヶ月の米国滞在を認めるとの異例の措置を言い渡したのでした。更に「コロンブスが強制送還されていたら、今日のアメリカは存在しなかったではないか。」というクリストファー氏の言葉に、サンフランシスコ市民だけでなく、アメリカ国民から堀江青年は、称賛を浴び英雄になったのでした。(現在もアメリカでは堀江を知る人々は、彼をレジェンド(伝説)の人と呼んで敬意を表しています。)

日本は戦後17年、まだまだ辺りには戦後の残照が残り、若者の間には60年安保の敗北の無力感が漂っていました。そのような時代、日本国民には世界に目をむける余裕などまったくありませんでしたが、堀江青年の快挙は、当時、大変ショッキングな出来事で、遠く思えていたアメリカが身近に感じられたほどでした。沸沸と希望や夢、熱きものが若者の胸に沸きあがって来ました。そしてその後日本の若者が海外で雄飛する時代がやって来たのでした。

クリストファー市長が、堀江青年に渡してくれた「名誉市民の鍵」は、実はアメリカが日本国民に贈ってくれた大きなプレゼントだったのです。彼の快挙は日本ヨット界の鎖国の扉を開いたことは言うまでもなく、1663年の鎖国令以来300年、日本国民を金縛りにしていた鎖国の精神的呪縛を、真に解放してくれた出来事なのかも知れません。堀江青年が英雄になる報にアイゼンハワー氏は、「良くやった」と市長を高く評価したそうです。市長はそのことを誇りに思い、今日まで自分の胸にしまっていたのでした。

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